2008年10月15日

僕の旅 2008秋 4日目

朝食は10時までなので9時に起きて、レストランへ向かい
いつもと同じは止めてパンにサラダ、ソーセージとデザートまで
欧米客用メニューを満喫する

昨日まで慌ただしく動いたので、帰国日の今日は観光等の予定はない
パソコンを抱えて近所のスタバでコーヒーとパスワードを購入し
ちょっとお仕事モード

テラスに出てタバコを吸いながらネットでお土産やを探し
手に有る町の地図で場所を確認していく
先日のガイドさんが日本人がよく行く通りと言っていた場所を
思い出しながら・・・

お昼を過ぎて、ご飯を求めつつ土産を探す事にして一旦部屋に戻り
チェックアウトが慌ただしくならない為に荷造りをして外出

20TBで自転車を借りて、また旧市街に向かった
途中普通の食堂があったのでメニュー見せてもらって
英語と写真があったのでこの店に決めた
焼き飯とエビを炒めたようなのもと余り辛くないスープを飲んで
また土産探しに町をうろつく

至る所にお寺があり、その都度中をのぞいてたら
時間はあっと言う間にチェックアウトタイムの16時に近づいていた

急いでホテルに戻りチェックアウト。
荷物をクロークに預けてあと3時間やる事がないので
ホテルの横にあるマッサージやで2時間今度は古式マッサージをうける

その店に入ってメニューを決めて部屋まで案内してくれた人は
間違いなく男だ これがタイ名物のおかまさんかと妙に嬉しくなった

着替えが終わっておばちゃんがタオルをもって入って来る
身体をほぐしてもらいながらのストレッチは気持ちがいいのだが
このおばちゃんがやたら話しかけて来るのがうっといのだ
ついでに何回か股間を触るのでNO~~~!!触るなと怒ってあげた

それ以降おばちゃんはおとなしくなって2時間の至福の時が終った

ホテル出発まであと1時間あったので近所のメシ屋さんに晩ご飯を
食べに行ってTBを残しても仕方がないので少しお酒も飲んで戻る

ホテルに帰ると先日の元気な女のガイドさんが迎えに来てくれて
空港まで送ってくれてチェックインまで一緒にしてくれた
彼女とはゲートで握手で別れた

出発までの空き時間にゲート内にもマッサージ屋があったので
足つぼをしてもらいこれで全てクリアだと勝手に満足をする

残り時間を喫煙所で過ごし、僕はチェンマイを後にした

posted by admin at : 15:41

2008年10月14日

僕の旅 2008秋 3日目

朝6時に起きて、少し寝不足感ありだが
朝食券を持ってレストランへ向かい
焼き飯を大盛りであと野菜炒めを食す

6時半迎えの車がホテルに来る
今からスコータイ遺跡へと向かうのだ

ガイドさんが日本語ぺらぺらで一安心して車に乗り込み
片道を3時間かけて目的地に向かうのだ
もちろん行きの車の中は爆睡で気がついたら目的地
シーサッチャナーライ歴史公園にまず着いた

歴史公園の中の寺院の跡を三つ廻って
ガイドさんに歴史について教えてもらう
全てレンガでできた寺院が戦争で焼けて黒い部分があり
仏像のクビがないのが多くて ガイドに聞いてみると
頭の中に昔は金を入れていたらしく盗賊がそれ目当てで
持っていったらしい

車に乗ってスコータイ歴史公園の移動しつつ
昼食のレストランに向かう
欧州の団体客はバイキングを食べていたが
僕はちがうらしい
喉がかわいたのでビールを飲み、出された料理を食べて
一人の食事は寂しいのでとっとと切り上げる
なんか鶏肉のようなものはあまり美味しくなかったので
残してしまった

スコータイでは博物館に入って、歴史公園の広さと
位置確認、出土した仏像やタイ文字の変化等をガイドに
教えてもらいながら、頭の中を整理して王宮跡に向かう

全て戦争で焼けていて建物自体が残っている者は僅かで
日本でいう所の城跡のような感じだ
王宮の間取りや寺院の跡でなぜここにこの高さのものが
必要だったのか細かくガイドに聞きながら
文様や仏像の顔などを細かくチェックし気分は最高潮となるのです

2時間程遺跡を見て回って、ガイドのもう充分でしょという言葉に
我に返りチェンマイに戻る事にした
帰りは350キロ 4時間の長旅である

19時頃にホテルに戻った
これから晩ご飯だが、昨日の帰りに見つけた
タイ料理のお店に入った
一応名物のカレーラーメンみたいな食べ物を食べ
まだ食べれたので焼きそばを追加し、満腹になる
ホテルへの帰り道に飲み屋を発見したので
ホテルにお金を取りに戻り、また外出だ
朝早かったのになぜか元気だ

ビールを飲んでると陽気な白人が横にきてなんか言うので
頑張ってコミュニケーションです
ビール3本と少しのお酒をのんで部屋に帰った

明日で終わるこの旅の最後の現地の夜を結構楽しく過ごせた

posted by admin at : 19:18

僕の旅 2008秋 2日目-2

貴重品とホテルでもらった日本語のガイドブックを持って
ホテルの前のレンタルサイクル屋で借りた自転車に乗り
ご飯を立派なホテルの横になるちょっと奇麗な
カフェでサンドウィッチを食し
うろうろと町を旅を楽しむ

日本語で書かれた観光案内の看板を発見し入店
明日のツアーの問合せをする
隣町だと思っていた世界遺産はどうやら300キロも有るらしい

料金も結構な金額だがここはケチっても仕方がないので
申し込みを済ます
ついでにこれからスパに行きたいのだが言葉が通じて
おすすめの店とコースを教えて欲しいとお願いすると
予約をしてくれて
15:00にホテルに迎えに来てくれる事になり
僕は部屋に帰った

約束の時間にロビーに降りたが誰もいないので
表で待つ事にし、しばしの喫煙タイム
15分遅れで男性が迎えに来たのだが英語オンリーの運転手だ

車中で遅れてすまないとか、どこでうちのスパを知ったんだとか
色々聞かれるのだが、すらすらと答えが英語で出て来ない
なんとか会話を続けながら目的地に到着した
なんか凄くゴージャスな雰囲気な場所である

受付に行くと日本語なんてだれも喋れるわけもなく
英語でのやり取りになった
僕はOKしか言ってない気がする

部屋に案内され着替えを命じられた
どうやたパンツも脱がなくてはダメみたいで
かなり戸惑う だって綿のサポーターみたいなやつを
パンツの代わりにって言われたから・・・

恥ずかしさを残しつつ身体をマッサージ嬢に任せる
タイ式を思っていた僕はその違いにびっくりしながら
全身オイルまみれになってた
マッサージは気持ちいい!!
約2時間の至福の時を終え、またホテルに送ってもらった

夜の食事を探しながら、ホテル界隈を歩くと
屋台の群れを見つけた。
システムはお金をクーポンに変えて使うようだ
観光客向けかと思いながら席を見渡すと地元民が多いようだ
だとすると安くて、そこそこに味だろうと判断しクーポンを購入

お腹いっぱい食べて大満足
そのままホテルに帰り長い一日を終えた

posted by admin at : 14:11

僕の旅 2008秋 2日目-1

翌朝、7:30に起床し、朝食券を握りしめて
昨日の夜のレストランへ行く。
バイキングだ でも何がなんだかわからいので
ここはおとなしく焼きビーフンを皿一杯に盛り
それだけを食し、後は明日の朝何を食べようか探索して
コーヒーを久々に飲み部屋に戻る

9時少し前にロビーに降りて昨日のガイド君を待つ
もちろんロビーは禁煙なので表でタバコを吸って待つ事にした

9時を少し過ぎたので あれ?忘れられたかな?と少し不安に
なった時に女性が僕を捜していた
どうやら昨日の人とは違うようだ

車に乗って山を登った まるで六甲の山道を走ってるようだ
そう、酔いそうなのだ
しかも外は雨模様、最悪の一日になりそうな気がした

山のお寺に着いた。素晴らしい程の完全なる観光地だ。
エレベーターで寺院に向かう。
ガイドさんは一所懸命にこの寺院の由来や、タイ仏教について
語ってくれた。しかし残念ながら僕はそんなものに興味はない
寺の壁に刻まれた文様や仏像をゆっくりみたいのだ
なので話半分に聞いていたら少し怒られた
この年になって「人の話聞いてる」なんて怒られるとは思ってもなかったので
素直に謝ってその話をちゃんと聞く事にした

寺院の中に入る際は土足禁止だ
ご丁寧に僕は靴下まで履いている、外は雨・・・はぁ

寺院の中に入ったら四方を仏像が囲んでいた
一番見たかった塔は今修理中で博物館もこの日はお休みだ
僕は少し悲しくなった
ガイドさんに博物館休みって教えてくれなかったと
優しいクレームを入れたら
あなたが今日がいいって言ったと切り替えされた
論点がずれている しょうがない我慢だ

生まれた曜日で賽銭の金額が決まっていて
僕の誕生日を言うと ガイドがびっくりしてた
どうやら若く見えるらしい ちょっと嬉しい
西暦をタイの暦に変換して調べたので合ってるか微妙だが
僕は日曜日に生まれたそうだ 賽銭は6バーツで一番安かった
賽銭を入れて痛い腰が治る様にとお願いをする
治るといいなぁ

その後、おみくじをしたら日本でいう大吉を当てたようだ
ガイドがびっくりしてた
ここのおみくじはほとんど悪い事が書いてあるらしい
記念に持って帰ることにした

そのあと観光ガイドにありがちな贔屓な茶店で休憩があり
ガイドさんの身の上話を英語と日本語が混じりながら聞いた
なんか元気な女性であった
今は中国語を勉強しているらしい
日本は子供が少なくなってきたからこれからは
中国だそうだ ちなみに彼女は日本語、英語、ドイツ語が
喋れるそうだ 昨年、カンボジアでも思ったが
日本も英語教育を文語から口語に変えるべきだと思った
彼女も流石に文字は読めなかった

その後、市内に戻り古い寺院を二つ見学して
ホテルに戻った。なんかずっと話されるので
ほとんど寺は見てないが異国の歴史がちょっと分かった
それはそれで素晴らしい事だと思う

ホテルに戻ったのは12:30頃でお腹が減ったので
昼ご飯を探しにまた町に出かけるのであった

<続く>

posted by admin at : 13:14

2008年10月10日

僕の旅 2008秋 1日目-2

チェンマイの空港に着いたのは8:45
荷物を受け取り出口に向かう

出口には多くの旅行会社の現地案内人がいて
多くの名前が掲げてある
僕は自分の名前を探し、その人に近づいた
少し言葉の不安もあったが片言の彼は
僕を無事ホテルまで案内してくた

ホテルにはフロントに日本人がいてアーリーチェックイン
を申し込んでいた僕はそのまま部屋に案内される
迎えに来てくれた方とは明日の観光の集合時間を決めて別れた

僕はまた眠った,そしてお腹が減って目が覚めた
時計はもう13時だった

近所を探索すべく町に出た
至る所で声をかけられてタクシーに乗ればかり
言われるので少しうんざりしながらメイン通りを歩くと
外人が多くいるカフェに出会った
まだここの物価を把握していないだが気にせず入り
写真付きメニューから焼きそばのような者とビールを注文する

旨いような気がする この薄味がなんとも懐かしい
おかわりしたいのだがなんか恥ずかしかったので止めた

ちなみにこの国はクーラーのある所は全て禁煙だそうだ
最悪の国に来てしまったかもしれないと少し後悔をする

少し町を探索し、夜にあるナイトバザールというものを
楽しみにして一旦ホテルに戻った
ホテルの無線LANが修理中だそうでブビジネスセンターの
LANを自分のパソコンに装着し少し仕事をする

部屋から窓の下を見たら小さなプールを発見し
タバコと読みかけの本を抱えて急いで移動する

日が暮れて来た 時計を見るともう17時過ぎだ
部屋に帰ってシャワーを浴びてお腹が減るまで横になる

19時過ぎにお腹の虫とともにが外出し
ナイトバザールというモノを堪能しようと張り切るが
売ってるのはバッタもんのユニフォームや時計
その他はT−シャツ等だ 絹や仏像ももちろんあるが
僕の物欲を欲する者はない
けっこう歩き、眠くなってきたので
ホテルのレストランで食べる事にした
メニューに迷うかと思ったがバイキングだったので馬鹿食いし
そのまま寝ようと部屋に帰ると
フロントの人がこっそりと灰皿を部屋に入れてくれた
でも吸う時はドアを少し開けて吸うそうだ
なんて不用心な でもありがとう

<二日目につづく>

posted by admin at : 13:21

2008年10月 8日

僕の旅 2008秋

土曜日の深夜、僕は関西国際空港にいた
24時間空港の利点を生かし、1:25発の便だ
こんな時間は関空も店が全て閉まり、出国審査ごはゲート前の
喫煙所で読書をして時間を過ごした

10分程早く飛行機は関空を後にし、一路バンコクへ向かう
深夜便なのですぐ寝ようと思っていたのに
僕の後ろの席は4人の団体で一人海外素人が混じっていて
こいつが不安からなのだろう うるさい

夜中の3時頃、夜食のサンドウィッチとおにぎりをカバンに入れて
僕は希望に満ちあふれ眠りにつく 

なんか騒がしいので目が覚めた
時計を見るとまだ5時半だ なんの騒ぎかと思ったら
旅素人君が入国カードの書き方が分からず騒いでいる
そのまま起きて機内の朝食を食べ、予定より30分早く
6:45バンコクに着いた。
ここからは現地時間で書こう4:45だ

ここで国内線に乗り換えて目的地に向かうのだが
まだ入国審査の人が来ていないので1時間喫煙所で過ごし
何も聞かれずに審査をパスしゲートに進んだ
でも飛行機の時間は現地7:15だ 困ったのでドラクエで時間を
過ごす。もちろん場所は喫煙所だ

7:15発のはずがなぜか7:45発に変更されていて
乗り込んだのだが8:15になっても動かない
扉は既に閉まっている ???何故だ

僕はもう考えるのを止めて寝る事にした
次に目を覚ますと目的地の空港に着陸した瞬間だった
<つづく>

posted by admin at : 13:04

2008年10月 2日

号泣!!

昨日、偉大な野球選手が引退をした
何故かちょっとお手伝いでその現場に居合わせた

10時間の待ち時間と人の多さにイライラし
元野球選手を数名目撃でき素人気分だったのだが
やっぱ携帯を掲げるのは気が引けたので
見た!!という証拠は何も残っていない

試合が終わる頃、僕はライト後ろの倉庫に待機をしていて
合図で扉を開けるだけの係
小学生でも出来る事だ

セレモニーが始まって 前にリハーサルで見ているはずの映像なのに
観客の声援があると違うものに感じる

映像の終わる少し前の花道は作ってやるという台詞
その後ろにある亡くなった監督の映像
目頭が熱くなる

本人が登場し花束の贈呈等よくテレビで見る光景だ
最後の贈呈が終り二人が男泣きしているのを見て
僕の頰に涙が・・・

特に思い入れが有る訳ではない
なのに感動してしまった

そのあとの為にこの二日なにも出来なかったのだが
彼が唄っているときの映像がまた素晴らしかった
唄ってる人とそれを直立不動で聞いて涙を流し
その映像の後ろに過去の活躍したシーンが映し出されるのだ

また涙が出そうになった

最後の本人の挨拶は23年間お世話になった全ての人への
感謝の言葉だけだった
それが胸を強く打つのだ

頰を涙が通り過ぎる

そしてセレモニーは終り、胴上げの瞬間
恥も外聞もなく携帯を準備したが場所取りに失敗し
撮影できず失敗

悔しいので機材の撤去中 センターに飾られた
ポスターの写真を撮ったのさ

さて今日からまた日常・・・頑張りましょう

posted by admin at : 12:30